検見川レイディオ

廃墟となっている文化遺産・検見川送信所を中心に

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終戦の日の検見川送信所

最近、検見川送信所に関する2冊の本を読むことができた。



初代所長を務めた菊谷秀雄さんの「検見川無線の思い出」と79年の閉局時にまとめられた「検見川無線史」(編・日本電信電話公社 東京無線通信部)である。この2冊は千葉市図書館で借りることができる。

検見川送信所は1930年(昭和5年)10月にはロンドン軍縮条約締結を記念した浜口雄幸首相の演説を米英に向け、放送。これが日本初の国際放送となり、「検見川」の名を世界にとどろかせた。

その技術の高さから、戦時中は軍事利用されたと推察されるが、その詳細は明らかになっていない。

「無線史」によると、各通信回線が休止となり、記録書類を焼却したとある。戦時中の送信所の役割はまさにミステリーではあるが、これこそが戦争にかかわっていたことを示す事実だろう。

回想録の中に唯一、終戦当日の様子が書かれている箇所がある。

NTさんの文

「朝出勤して間もなく、第1発振室前の広間に整列するよう指示があり、監視用受信機が持ち込まれ、全員が玉音を拝聴した。始めのうちは真意はつかめなかったが、午後になると百数拾名の軍人が入局して来て、階下の廊下で武装を解いた。その日から3日に亘り、玄関前の11号鉄塔下で書類という書類が焼却された」


局舎の正面玄関。書類が焼かれた11号鉄塔はこの右手にあったようだ

戦時中、千葉は多くの軍事施設を抱える軍都だった。

しかし、検見川送信所で働く人々は平和への思いが強かったようだ。


「検見川無線史」に載っている開局当初の局舎。まさに白亜の建物

菊谷氏は国際放送の成功したばかりの昭和5年秋以降のことについて書いている。

多くの軍人が見学に訪れたそうで、将校たちも案内した。職業軍人たちは天皇陛下のためには死ぬ覚悟という者ばかりだった。

「われわれ軍人は戦争がなければ、出世なんかできませんよ。もうすぐ昭和9年になりますが、西暦でいうと、1934年。これに昭和10年、11年と続けますと、193456になります。これをこう読むと、《イクサシゴロ》となります。われわれは今、戦争の準備をしているんです」と、ある軍人。

菊谷氏は「語呂あわせで戦争賛美とは怪しからぬと思ったが、軍人さんの前ではどうにもならなかった」と記している。

その後、平和に動いた浜口首相は東京駅で狙撃され、重傷となり、失脚。まさにイクサシゴロの時代に突入していく。

1934年3月から満州国の帝政が始まり、12月にはワシントン海軍軍縮条約を破棄、36年1月にはロンドン軍縮会議から脱退、2・26事件、日独防共協定を締結した。

職員も徴兵され、マニラなどに出兵した。

検見川送信所は前述の通り、真珠湾攻撃を告げる「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号を発信した場所ではなかったが、植民地との連絡などの軍事利用があった。平和の声を届けた、その技術は戦争へと利用されていく。

今もぽつんと建っている局舎は、僕らに何かを告げているようでならない。



写真はCaplio GX100で撮影。


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去年の日記は?


2006/8/15 海外での携帯電話活用術



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  1. 2007/08/15(水) 11:42:22|
  2. 検見川送信所
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
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コメント

今は「戦後」ではなく「戦前」と言うけれど

>その日から3日に亘り、玄関前の11号鉄塔下で書類という書類が焼却された



3日間!

菊谷さんに直接お話聞いてみたいですね。

だんだん面白くなってきて、わくわくします。

コレからの記事も楽しみにしています。



今日は終戦記念日ですね。

このまま戦争のない時間がずっと続きますように!

  1. 2007/08/15(水) 19:49:05 |
  2. URL |
  3. シン #79D/WHSg
  4. [ 編集]

Re:終戦の日の検見川送信所(08/15)

うーん、一連の記事、本当にすばらしい。

この送信所と共に、ネットにいつまでも残しておきたいです。



軍は迅速に情報を消し去る努力をしたようですが、

悲しいことに、重要な情報はすでに連合国側に渡っていたんですよね。



現在の局舎の風貌、ほんと、何かを語りかけています。。。

  1. 2007/08/16(木) 00:29:04 |
  2. URL |
  3. 音楽と薔薇☆うっちい #79D/WHSg
  4. [ 編集]

Re:今は「戦後」ではなく「戦前」と言うけれど(08/15)

シンさん

>>その日から3日に亘り、玄関前の11号鉄塔下で書類という書類が焼却された



>3日間!

>菊谷さんに直接お話聞いてみたいですね。



そうですね。かなりのご高齢ですが、当時、働いている方とコンタクトを取れないものかと考えています。



>だんだん面白くなってきて、わくわくします。

>コレからの記事も楽しみにしています。



ありがとうございます。建物のストーリーが分かると、物への見方も変わるんじゃないかと思います。



「無線史」を読んだことで、一番分からなかった戦時中の記録が分かりましたので、この辺りのことを僕なりに組み立てて書きたいと思います。



>今日は終戦記念日ですね。

>このまま戦争のない時間がずっと続きますように!



そう願います。



ところで、戦後、戦前の概念ですが、なんだかごちゃごちゃしていますね。



僕は太平洋戦争前を「戦前」、戦争中を「戦中」、その後を「戦後」だと思っていましたが、違いますかね?
  1. 2007/08/16(木) 04:55:45 |
  2. URL |
  3. shocota #79D/WHSg
  4. [ 編集]

Re[1]:終戦の日の検見川送信所(08/15)

音楽と薔薇☆うっちいさん

>うーん、一連の記事、本当にすばらしい。

>この送信所と共に、ネットにいつまでも残しておきたいです。



見ていただける方、関心のある方は少なくないと思っているんですが、やや硬い内容なのか、コメントが少ないので、どうなのかな?と多少不安になりながら書いています。



こうして、コメントをいただけることは勇気がわきます。



>軍は迅速に情報を消し去る努力をしたようですが、

>悲しいことに、重要な情報はすでに連合国側に渡っていたんですよね。



たぶん、無線は傍受され、暗号も読まれていたと思いますよ。



3日間に亘る焼却というのは、なかなかの分量ですね。



>現在の局舎の風貌、ほんと、何かを語りかけています。。。



きれいにすれば、かつての様式美も見えてくるはずなんですけどね。
  1. 2007/08/16(木) 05:01:10 |
  2. URL |
  3. shocota #79D/WHSg
  4. [ 編集]

Re:終戦の日の検見川送信所(08/15)

こんな記録本が存在していたんですね。

終戦日をはじめ、送信所の当時の様子が生々しく伝わってきますね。



開局当初は、本当に優美で白さがまぶしい建物だったんですね。ここまでとはいかずとも、形だけでも残すことができれば良いのに。



ちなみに僕の戦前・戦中・戦後の概念も、shocotaさんと同じです。

1941年12月8日より前が戦前、

1945年8月15日までが戦中、

1945年8月16日以降が戦後。



ですので、太平洋戦争(大東亜戦争)前夜に開戦した日中戦争時代は「戦前」ということになります。



日中戦争より前の対戦は、日清戦争にしろ日露戦争にしろ、第一次世界大戦にしろ、日本本土が大きな被害を被ったわけではないので、インパクトが薄いものがあります。



太平洋戦争は、米軍の空襲によって日本の国土そのものが焦土と化した唯一の戦争なので、それだけ「戦争」の怖さを戦争を知らない我々の世代にも訴えかけているような気になります。

だから戦前・戦中・戦後の基準は、やっぱり太平洋戦争なんだと思います。

  1. 2007/08/16(木) 09:30:49 |
  2. URL |
  3. まさやん0386 #79D/WHSg
  4. [ 編集]

Re[1]:終戦の日の検見川送信所(08/15)

まさやん0386さん

>こんな記録本が存在していたんですね。

>終戦日をはじめ、送信所の当時の様子が生々しく伝わってきますね。



これが唯一、詳細な資料だと思います。ただ、あまり手に取られることのないものなので、これを元に、当時のことが分かるようにまとめていくつもりです。



ほかにも関連資料を探しているんですが、なかなかお目当てのものは見つかりません。



>開局当初は、本当に優美で白さがまぶしい建物だ>ったんですね。ここまでとはいかずとも、形だけ>でも残すことができれば良いのに。



白黒なので色まではよく分かりませんが、回想録の中に白亜と書かれているものがありますので、もう少し白かったのでしょうね。



>太平洋戦争は、米軍の空襲によって日本の国土そのものが焦土と化した唯一の戦争なので、それだけ「戦争」の怖さを戦争を知らない我々の世代にも訴えかけているような気になります。

>戦前・戦中・戦後の基準は、やっぱり太平洋戦争なんだと思います。



同じ意見です。
  1. 2007/08/16(木) 10:33:43 |
  2. URL |
  3. shocota #79D/WHSg
  4. [ 編集]

Re[1]:今は「戦後」ではなく「戦前」と言うけれど(08/15)

>僕は太平洋戦争前を「戦前」、戦争中を「戦中」、その後を「戦後」だと思っていましたが、違いますかね?





いや、つまり、現在は「近い未来、これから来るであろう戦争」に対しての「戦前」という考えですね。

ずっと「戦後」が続くことを祈ってます。

  1. 2007/08/16(木) 12:50:20 |
  2. URL |
  3. シン #79D/WHSg
  4. [ 編集]

Re[2]:今は「戦後」ではなく「戦前」と言うけれど(08/15)

シンさん

>>僕は太平洋戦争前を「戦前」、戦争中を「戦中」、その後を「戦後」だと思っていましたが、違いますかね?



>いや、つまり、現在は「近い未来、これから来るであろう戦争」に対しての「戦前」という考えですね。

>ずっと「戦後」が続くことを祈ってます。



深い意味だったんですね。合点がいきました。平和が一番です。



関係ないですけど、暑いですね。
  1. 2007/08/16(木) 13:37:04 |
  2. URL |
  3. shocota #79D/WHSg
  4. [ 編集]

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Author:クズミコウ
検見川送信所(千葉市)は1926年竣工。東京、大阪の中央郵便局を手掛けた吉田鉄郎氏が設計。1930年には浜口首相の演説を米英に向け放送。これが日本初の国際放送となりました。しかし、今ではこうした事実が忘れ去られ、現在は廃虚。所有者である千葉市は将来、取り壊すことを決めています。

詳しくは検見川無線送信所について

地元有志と「検見川送信所を知る会」を結成し、建物の価値を広め、利活用を提案する活動を行っています。活動は朝日マイタウン、朝日新聞、千葉テレビ、千都よみうりで紹介されました。

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