検見川無線送信所の内部、外観を撮影した写真を探しています。
提供してくださる方はコメント欄に管理者のみ閲覧可能にして連絡先を知らせてください。
写真でもネガフィルムでも構いません。こちらでスキャンさせていただき、速やかに返却させていただきます。
また、検見川無線に関する思い出、エピソードがあれば、教えてください。今後の活動にいかさせていただきます。
- 2008/01/30(水) 17:23:08|
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右プロフィール欄に「検見川送信所を知る会」の入会案内、これまでの新聞報道記事を加えました。いずれも、pdfファイルです。
新聞では朝日新聞、朝日マイタウン情報、千都よみうりに取り上げていただきました。会員数は約50人です。
「知る会」は登録無料。イベントのお知らせ、活動報告などをメールにてお送りします。
また、メールマガジンも発行しています。2月23日のイベントまでは週1回のペースで発行する予定です。
- 2008/01/29(火) 13:38:31|
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2月23日(土)、検見川公民館にて、イベントを行います。詳細は後日、発表します。

会場の地図

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- 2008/01/27(日) 10:20:43|
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朝、用事かあり、新検見川駅に立ち寄り。駅前の「市民ネットワーク」の事務所を通ると、竣工当時を再現した検見川送信所のCGパースが張ってあるのが見えました。

メンバーの方が市民ネットさんに掲示をお願いし、快諾してくれたようです。仕事前で電車の時間もあったので、写真は撮れなかったけど。ありがたいことです。
僕らが行っている「検見川送信所を知る会」は党派会派を越えて、送信所の保存、利活用への理解を呼び掛けています。昨年、行った第1回イベントでは自民党、民主党、新政ちば、市民ネットの市議に出席していただきました。
検見川送信所のCGは「分離派建築博物館」のきくちさんの好意で、A3サイズのものを何セットか送っていただきました。検見川地区の何ヵ所に掲示されていくと思います。
最近、もてはやされている手帳術。本の多くに、夢を描けば、実現すると書かれています。欲しいものの写真や絵を挟むのだそうです。
送信所の理想像であるCGが町に並ぶことによって、人々の意識も少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

ちなみに写真は今日から新検見川駅の改札に張られた「検見川神社」の節分祭のお知らせ。地元の年男、年女が福豆をまくんだそうです。神社お出掛けの際は、送信所にもお立ち寄りを。
今なら、銀杏の葉も落ちて、全景がご覧いただけます。

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- 2008/01/25(金) 11:45:16|
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検見川送信所の竣工当時のCGパースが完成するなど、「検見川送信所を知る会」の活動が活発になってきました。

目下、2月下旬のイベントを企画し、動いています。近いうちに日時、場所、中身を確定できるかと思います。
送信所は大きく2つの点で評価されるべきだと思います。
それは建物の価値、通信・放送史における価値。送信所は1926年から79年までさまざまな情報を発信し続けましたが、そのクライマックスの1つは1930年(昭和5年)10月27日、日本初の国際放送を届けたことでしょう。
これはロンドン軍縮会議での成果を、日米英の首脳が世界に向けて、同時に発表するというものでした。日本の当時の首相はライオン宰相といわれた
浜口雄幸でした。
これが歴史学者にどのような評価をされているのか、文献に当たってみました。
外交史などの専門家である波多野勝氏の「浜口雄幸〜政党政治の試験時代」(中公新書)。
「10月27日、日英の首相と米大統領の三人は、同時刻にラジオ放送することになった。世界各地域とのコミュニケーションがなかなか困難にもかかわらず、異例かつ画期的な発表だった」
この国際放送は米国側の提案から生まれたもの。僕は、米国は日本の通信技術を試したのだと思います。検見川送信所は高い技術力を見せつけ、米国をあっと言わせたのです。
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- 2008/01/24(木) 16:56:38|
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分離派建築博物館のきくちさんが作ったCGパースに、ツェッペリン伯号が描かれてる。

これが非常に琴線に触れた。ツェッペリン伯号と検見川送信所の邂逅については
前記事で紹介したが、ツェッペリン号が検見川上空を飛んだとすれば、もっとおもしろいと思った。
ツェッペリン伯号の航路は当時の新聞に大きく紹介された。

これによると、検見川近くを飛んだかのようにも見える。そうでないにしても、当時は高い建物は少なく、東京の方まで見渡せたという。空も澄み切っていただろうし、何よりも検見川無線はツェッペリン伯号と交信をしたわけだから、飛んでいる方向を目視しようと試みた職員もいたのではないだろうか。CGパースに描かれた光景は、はずれてはいないのではないかと思う。
下の映像はNHKが製作したドキュメンタリーのようだ。
ここにはツェッペリン伯号の来日(2:47)、浜口雄幸首相が国民に緊縮財政を訴えるラジオ放送の模様(8:17)が出てくる。浜口首相はその風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた信念の人物。小泉首相時代、よく比べられた。小泉首相もメディア戦略にはたけていたが、ラジオを有効利用した最初の首相は浜口首相だったのではないか?
このラジオ放送は検見川送信所が行った国際放送以前に行われたものであるから、NHKのアーカイブスには国際放送当日の模様が残っているような気がする。
浜口雄幸首相の生き様は城山三郎の「男の本懐」に詳しい。
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- 2008/01/22(火) 00:11:21|
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分離派建築博物館のきくちさんが製作された検見川送信所のCGアート。

竣工当時の姿を再現しているのですが、同時に送信所の未来の姿を描いています。ごらんになった方は吉田鉄郎のモダニズム建築は80年後の今でも十分、「モダニズム」であることに気づくでしょう。
そんな思いを感じて、思わず動画にしてしまったのが以下のものです。
先にYouTubeにてアップしましたが、nifty動画共有サイトにて、再編集版をあげてみました。
こちらは「検見川送信所CG再現〜PAST,NOW,FUTURE」と題してみました。
YouTube版との違いは
(1)「検見川送信所を知る会presents」のところに、花園シン氏が撮影、合成した満月と送信所のショットを加えた
(2)国際放送を行った浜口雄幸首相、マクドナルド英首相、フーバー米大統領の顔を重ねたこと
(3)ツェッペリン伯号の資料写真を追加したこと
(4)ラストは告知も主張も入れず、シンプルに終えることにしたこと
きくちさんはパースの中で、さりげなく
ツェッペリン伯号を点景として加えていますが、僕はこの飛行船がすっかり気に入ってしまいました。

最後の方で俯瞰図が出てきますが、送信所がズームされるところはツェッペリン伯号からの風景をイメージしています。
ツェッペリン伯号は1929年8月19日、突如東京上空に姿を現し、人々を驚かせたそうです。翌日は「ツェッペリンを見たか?」というのが人々の話題になったそうです。
ツェッペリン伯号は全長236m。サンシャイン60とほぼ同じ大きさ。こんなものが空に浮かんでいたら、そりゃ驚くでしょうね。
検見川送信所は、このツェッペリン伯号との交信も行っています。
以下情報は「検見川無線30年史」からのものですが、元ネタは「日本無線史第4巻」のようです。
ツェッペリン伯号は地上と無線連絡を取りながら、日本に飛来した最初の飛行船。、「日本文明の名誉にかけて、同号との速やかなる無線連絡が無線人の願いだった」とあります。
8月17日午後9時半から同40分にかけて、北海道・根室の落石局がシベリア上空にいた同号の無線をキャッチし、交信に成功。ほかの無線局も手柄を争ったようですが、落石局の成功を我がごとのように喜んだそうです。
検見川無線が所属する東京無線局は落石局から遅れること7分、9時37分に飛行船の無線符号を識別したが、落石局のために時間をおき、18日午前1時10分から通信を交換しています。
通信量は
落石局が10,372語
東京局が2,210語だったそうです。
「検見川無線史」では、落石局に通信を譲ったことは「交譲の精神」であったと書いていますが、同時に、交信は失敗だったともあり、微妙な心理をうかがい知ることができます。
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- 2008/01/21(月) 16:16:35|
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分離派建築博物館のきくちさんが製作された検見川送信所のCGを基に、約1分半の動画を作ってみました。
初めてWindows XPのムービーメーカーを使いました。Vista用のほうが機能は豊富という印象。

CGについては
「検見川無線送信所再現CG作成の試み」をご覧ください。
この建物の設計者である吉田鉄郎氏の著作はこちら。
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- 2008/01/20(日) 10:36:03|
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分離派建築博物館のきくちさんがコンピューター・グラフィックスで検見川送信所の竣工当時の姿を再現しました。
フォトショップなどを使われたそうです。

詳しくは
「検見川無線送信所再現CG作成の試み」をご覧ください。
「検見川無線30年史」(昭和28年3月)の回想録にこんな話が掲載されています。
竣工当時は仲々の偉観で当時鉄筋コンクリート建無線局舎はたしか日本で始めてだったと思ひます。東洋第一と云われました検見川無線の名は国内では余り知られていませんでしたが海外では有名だった由です。
開局式は大正15年5月頃でしたが、本省より稲田三之助局長始め多数来場され官民多数を招待し盛大でした。町中お祭さわぎで賑わい局は3日ばかり町の人々に公開されました。
(昭和26.2.27/新作義信=原文まま)こちらは08年元旦に撮影した送信所の姿です。


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- 2008/01/19(土) 10:55:54|
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メルマガ「検見川送信所J1AA通信 vol.17」を発行しました。
今回は産業考古学会評議員の平井東幸さんによる特別寄稿「検見川無線送信所の保存と利活用(1)」を掲載しています。
平井さんは「検見川送信所を知る会」のイベントでも、送信所の価値について言及されています。
ドキュメンタリー「ほぼ満月ただのお月見@検見川送信所」(約7分半)
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- 2008/01/19(土) 09:55:55|
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