検見川レイディオ

廃墟となっている文化遺産・検見川送信所を中心に

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初代所長が書いた「検見川無線の思い出」

musenhozon.jpg

日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機にあります。これを保存、再生できないかを考えるプロジェクトです。

賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。
<a href="http://moleskine.air-nifty.com/photos/kemigawamusen/" target="_blank"><img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/47/0000060947/20/img2159e7f1zik6zj.jpeg" width="170" height="60" alt="musenhozon.jpg" border="0"></a>

検見川送信所の記録はけっして多くはない。

初代所長を務められた菊谷秀雄さん(1899/5/5)がお書きになった自伝「検見川無線の思い出」(平成2年3月発行)は貴重な歴史資料であると同時に、面白い読み物だ。

2部構成で、1部は昭和5年10月27日、日本初の国際放送が行われるまで、2部は昭和8年12月に米国出張を命じられ、米サンフランシスコに着くまでの船旅が描かれる。



この本は非売品で、著者の菊谷さんが図書館に贈呈したようだ。菊谷さんは本の終わりに、「謹呈」と題する手書きの文のコピーを残している。

菊谷さんの自伝を基に、日本初の国際放送がどのように行われたかを自分なりに書いていきたいが、まずは手書きの文から引用させていただきたい。

「当初、台湾との無線話開通のため、国産の部品を使って試作した、出力5キロワットの短波無線電話送信機J1AAを用いて、台湾と通話試験をする傍ら、日本と米・独・英との交歓放送を度たび行い、特に昭和五年(一九三〇)十月二十七日の夜には日・米・英の三国の首相が交るがわる自分の声を電波にのせて、世界中に放送した『軍縮放送』を行いましたので、『J1AA』と『検見川無線』の名は世界の隅ずみまで響きました。



今は撤去されたアンテナも鉄塔もなく、鉄塔の台座と局舎が残っているだけですが、これらも何日かは姿を消すでしょう。若き日に精いっぱい働いた『検見川無線の思い出』を書き綴って、後に残したいと思って筆をとりました」

(中略)

「お暇の折に読んで『検見川無線』を思い出して下さい。
 荒れ果てた旧局舎の前には記念碑だけは建っていますが、安達逓信大臣の植えられた記念樹もなく、人家は敷地の近くまで押し寄せています」


きっと菊谷さんは送信所は跡形もなく消えるが、この本を書き、図書館に預ければ、その送信所の歩んだ道だけは後世に伝えられるとお思いになられたのではないだろうか?

しかし、奇跡的にこの建物はまだ残っている。


菊谷さんご自宅の連絡先を知ることができたので、思い切って電話をかけてみた。8月15日のことだ。

長男の奥様という方が電話口に出てくれた。検見川送信所が取り壊しの危機にあることはご存じなく、びっくりされていた。

僕が「日本初の国際放送が成功した場面では胸が熱くなりました」と言うと、奥様は「そうですか、そうですか」と聞いてくださった。

思い切って、菊谷さんのことを聞くと、13年前に亡くなられた、ということだった。享年92歳。大往生である。この自伝を書かれてから、2年後のことだ。

もっと早くに、コンタクトを取るべきだった。昔を知っていらっしゃる方はどんどん天寿を全うされる。

送信所もどんどん風化していく。保存のために残された時間はあまりないだろう。

検見川送信所、コールサインJ1AA
この建物はまだ何かを送信している…


この1文を保存計画サイトに書き加えた。









去年の日記は?


2006/8/21 植え替えたゼラニウム、復活するか、枯れるか?





  1. 2007/08/21(火) 04:22:22|
  2. 検見川送信所
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検見川送信所のある検見川という町

検見川送信所のある千葉市花見川区検見川がどんな町か?首都圏近郊にお住まいの方は分かるかもしれないが、改めて簡単に書いてみよう。


夕焼けの中の検見川送信所

千葉市は東京のベットタウン。総武線、京葉線にはたくさんのマンション、一戸建てが並ぶ。
新検見川は幕張と稲毛の中間にある。東京駅から隣先の稲毛までは快速で35分。新検見川には快速は止まらないこともあり、駅前は稲毛に比べると、開けていない。

検見川の一帯は先に京成電鉄の検見川駅ができ、JRはその後に出来た。だから、新検見川駅という。ちなみに、閉局になるまでは電車からも、検見川送信所のクモの巣状に張り巡らされた空中線が見えたという。

江戸時代は漁業と海運の要地だった。江戸とは海路で、内陸へは花見川、御成街道を結んだ。以前、長沼の大仏について書いたが、この大仏も検見川までは海で運ばれ、その後は川を上り、御成街道を通ってきたらしい。



開けていたのは海岸沿い。今はシャッター街だが、昭和の木造建築が無数建っており、ちょっとしたタイムスリップを味わえる。

大正時代、送信所の周囲はかんしょ畑で、広大な土地が開けていたようだ。昭和5年には松井天山という人物が書いた「千葉県検見川町鳥瞰図」にも送信所(図右上)は載っているが、周囲から離れてポツンとある。

「Go!Go!しんけみがわ! 新検見川地域情報」菖蒲湯@検見川「梅の湯」の記事中に図版がある。

この場所が選ばれたのは東京から近く、広大な土地があったから。当時、電力会社はなく、各地場の有力企業が供給していた。というわけで、東洋一の大電力無線送信所は京成電鉄から、電気をもらっていたのだ。

ちなみに、千葉市史編纂委員会が編集した「千葉いまむかし No.4」(91年3月)によれば、庶民の家では電気は「東京電灯」との定額契約だったという。1軒に1灯で、それも30燭光(昔の光の明るさの単位、1燭光はろうそく1本分)分というから、それほど明るいものではなかったようだ。商店街はたくさんの電灯をつけるので、メートル制を用いられていたという。

送信所には、世界を渡った2人のコスモポリタンが関わっている。

1人目は送信所の設計は逓信省のエースで東大出身の吉田鉄郎氏。同年代には日本武道館などを設計した山田守氏がいる。吉田氏はドイツ語で「日本建築」の評論を出し、後に日本人の訳によって、逆輸入されたという才人。


建築家・吉田鉄郎の『日本の建築』

そして、2人目は検見川送信所の初代所長に着任したのは鹿児島出身で、東北帝大を卒業したキャリア2年目の菊谷秀雄氏。昭和9年には米客船に乗り、ハワイ経由でサンフランシスコに渡り、その後、ヨーロッパにも研修旅行した。

当時、実際は所長という肩書きはなく、主任。しかし、周囲から「所長さん」と呼ばれていたことから、菊谷氏自身も所長とついた判子を作っている。逓信省のお偉いさんからは所長判を見て、「そんな辞令は出していない」と怒られたらしい。

メンバーは各所から集められた。優秀な人材を喜んで出すところはなく、やや個性の強い人物がいたようだ。しかし、彼らが後の日本初の国際放送を成功させた。

また、新検見川の線路をまたいだ東側には東大農学部の研究施設&グラウンドもあり、研究に勤しんでいた。1952年には、1200年前の太古蓮を発見し、発芽、開花に成功させた大賀一郎博士が登場する。このニュースは米誌「ライフ」にも掲載された。



蓮の実が発見されたのは、弥生時代の遺跡から。検見川の文化、歴史を感じさせる。

こうしてみると、魅力的な要素を持った町だ。



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日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機を迎えています。これを保存、再利用できないかを考えるプロジェクトです。

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去年の日記は?


2006/8/20 浸透性塗料インウッドを追加注文





  1. 2007/08/20(月) 15:05:06|
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「検見川送信所」保存計画バナー

数日前から、以下、バナー掲載のお願いをしています。製作は「Go!Go!しんけみがわ! 新検見川地域情報」の花園シンさん


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日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機を迎えています。これを保存、再利用できないかを考えるプロジェクトです。

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新たに2人の方がリンクを貼ってくださいました。

takaakのブログ

山荘きらら

海のものとも山のものとも分からないプロジェクトにご賛同していただき、ありがとうございました。同時に責任の重さも感じています。

小さなプロジェクトは1歩1歩ですが、確実に前に進んでいます。本日もちょっとした会合を行いました。参加者のご了解を得ながら、みなさまに公開していきたいと思います。

そして、意見をいただくことが大いに参考になっており、励みになっていることはぜひ知っていただきたいと思います。


僕の完全なミステイクなのですが、多少の誤解があるようにも思いました。

僕がどうして、この建物を残したいと思ったか? について改めて書きます。

僕がこの建物に出会ったのは趣味のひとつであるサイクリングがきっかけです。いろんな場所を走っているうちに、地元でもまだ知らない場所はあるなぁと感じている時に、「検見川送信所」というものがあり、それが取り壊しの危機にあるということを知りました。

迷った揚げ句見つけた、その場所は何とも言えないインパクトを持っていました。



ここは幽霊スポット、廃墟として全国的にも有名。確かに異様さもありましたが、建物そのものの造形は美しく、これほど強烈な印象を植え付けた建物はなかったといっていいかもしれません。

廃墟でありながら、建物そのものは竣工から90年を経ても原型を留めており、力強く生きようとしているように思えました。

その歴史を紐解いてみても、実にユニークです。

送信所は1926年当時、帝国主義にあった日本が国策として作った施設です。そのため、戦争の影が見え隠れしますが、その名を世界に知らしめたのは1930年(昭和5年)のロンドン軍縮条約締結を記念する浜口首相の記念演説を米英向けに放送したことです。これがNHKが行った日本初の国際放送となり、世界に平和への声と日本の技術の高さを知らしめました。

その後、浜口首相は襲撃され、失脚。日本は軍国主義を突き進み、送信所は軍事利用される一方、さまざまな無線の実験が行われ、無線技術の向上にも大きく貢献しました。今日、僕らの生活には携帯電話はなくてはならないものになっていますが、これにも検見川送信所は大きく関わっています。

この建物は人と人、国と国を結ぶという役割を正と負の面の両方でかかわっている「生き証人」と言えるのではないでしょうか?

建物としての生と死、歴史的には戦争と平和、コミュニケーションと断絶。そんなものが1個に凝縮されています。

さらに書きますと、戦時中の空襲で多くの建物を失った千葉市においては、貴重な大正時代の文化遺産でもあります。

新しいものはいくらでも作ることはできるはずです。ただ、古い建物は一度、壊してしまったら、同じものを作ることはできません。


送信所から見える幕張メッセ

送信所を保存・再生させることは過去を敬うことでもあり、反省することでもあり、同時に僕らの現在を見つめるきっかけにもなるはずです。そして、こうした建物を残すことは僕らの子供たちに未来を託すということでもあるんじゃないかと思うのです。

こうやって書くと、やっぱり重い、固い話なのかなとも思いますが、保存ができたら、どうやって使うか?を考えることは面白いではないでしょうか。

それには、検見川送信所の知られざるストーリーを掘り起こし、みなさんに知っていただくことだと思っています。次回は日本初の国際放送がどのように行われたか?を書いてみようと思います。違う話を書いたら、ごめんなさい。

写真は30Dで撮影。


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去年の日記は?


2006/8/18 鉢植えのブドウの復活劇





  1. 2007/08/18(土) 00:01:00|
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●建物が残った~大分アートプラザの場合

「建物が残った」というのは、書籍の題名。

建物が残った 近代建築の保存と転生
本体価格 2,800円 (税込 2,940 円)

建築家、磯崎新氏が設計した旧大分県立大分図書館が取り壊しの危機から一転、再生利用された記録だ。


【天童木工】モンローチェア《1973年発売・磯崎新》
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検見川送信所の保存に絡んで、取り壊しから保存になった事例を探していて、見つけた。


朝焼けの検見川送信所

大分図書館は1966年に建設された。検見川送信所は近代化遺産に分類されると思うが、こちらは近代建築。しかし、こんな新しいものすら、壊される時期なのかと思うと、逆に驚きだ。

これは建物自身が老朽化したというよりは、書籍の収容数が限界に達し、建物の構造的にも今日的(階段が多いなど)ではないという機能面が大きいようだ。

スクラップ&ビルドという考え方は公共施設には一般的なのだろうか?

確かに、この国はそうやって発展してきたわけだが、それだけでいいのか?それは市民、国民のためになっていたのだろうか?

図書館の取り壊しの噂が持ち上がったのは92年秋、鈴木博之東京大学教授の新聞コラム。磯崎氏も「所感」を発表し、無念さと愛着を滲ませたが、しばらくは推移を見守った。建物は既に引き渡し済み。「取り壊しか」「保存か」それを考える主体は県民、市民にあるとゲタを預けたのだ。これには自治体への牽制もあった。

続いて、日本建築学会が保存要請を行い、「大分県立図書館を考える会」が発足する。「保存する会」としなかったのは、反対派も巻き込み、話題にしたかったという意図だった。

やはり、保存の声もあれば、逆もある。市内在住のある建築家(本書では実名)は「建築物にも死の美学、崩壊の美学がある」といった。

これには、建築家の西岡弘氏が反論する。

長いが省略できないので引用させてもらおう。

「建築を脳死の状態で置いておいてもしかたないという書き方をされていましたが、僕は脳死状態でも何とかして生かしておきたいという気持ちがあって、ご本人もいろいろ苦労して、それで亡くなっていくのが死の美学だと思うのです。それをもう機能しないからということでその生命維持装置を取ってしまう。これは死の美学ではない。単なる暴力だ」

結局、この「考える会」の動きに自治体は反応し、取り壊しは撤回された。11億円をかけ、耐震強度を上げる補修工事を行い、アートプラザとして再生した。

この中には磯崎氏が寄付した模型、パネル、設計図が飾られている。

この本のドキュメント部分は大いに参考になった。こうした先人の努力があるからこそ、僕もやっていくことができる。

追伸

「検見川送信所保存計画」のバナーを貼ってくださった方にお礼申し上げます。大変ありがとうございました。

小さな声で始まっても、それは大きいうねりになる。

磯崎氏も同書でそう書いています。

検見川送信所の保存は会にもなっておらず、まだまだ小さい声ですが、少しずつ手応えを感じています。

ところで、「来週末、仕事半分、遊び半分で大分・湯布院に行きませんか?」と誘われた。これは巡り合わせ。大分のアートプラザをめぐって、同じく磯崎氏が手掛けた湯布院駅を見てこようと思っています。

写真は30Dで撮影。


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去年の日記は?


2006/8/17 窯焼きピザは薪をくべて



  1. 2007/08/17(金) 23:16:12|
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検見川送信所に関する新聞報道

niftyの新聞記事検索(有料)を使って、「検見川送信所」をキーワードに検索してみた。表示されたのは7件。

千葉大教授が中心に行った「アートプロジェクト検見川送信所」がほとんど。

以下、2000.11.25 東京地方版/千葉「朝日新聞」からの引用

千葉大教育学部の長田謙一教授(芸術学)が日本の近代建築の幕開けとして貴重な建物となる同送信所本館の存在を知り、「過去の記憶を踏まえながら千葉のこれからを見通せないか」と考え、総合科目の「文化をつくる」の講義の中で、アートプロジェクトを企画。

とある。

僕は吉田鉄郎氏が設計した送信所こそが最大のアートではないかと思うが、保存の声はなかった。


朝日を浴びる送信所

一番勇気をもらったのは以下の記事。ATさんは、僕がこれまで書いてきたことを端的に表現していた。

2003.05.19付「朝日新聞」より

検見川送信所、局舎の保存を(声)
団体役員 AT(千葉県四街道市 60歳)

日本の文化財保護は十分といえず、歴史が目の前で消えていくのは残念でなりません。千葉市にある旧東京無線局検見川送信所の局舎もその一つです。

送信所は大正15年、逓信省により外国との通信を主な目的に開局しました。昭和5年、日
英米首脳のロンドン軍縮記念放送では、浜口首相による初の国際放送が発信され、検見川無線の名が世界に知られたそうです。技術革新が進んで送信所は昭和54年には閉局、多数の鉄塔が撤去されて局舎だけが残りました。

局舎は2階建てのモダンな建物で日本建築史に名を残す吉田鉄郎氏の設計と言われ、今でも
補強すれば十分使える状況にあります。しかし、市の区画整理事業では学校建設用地として取り壊される予定です。

隣接した公園用地を使って区画整理事業計画の変更は可能ではないでしょうか。取り壊す費
用は数千万円はかかるとのこと。その費用で美術館や博物館、文化ホールなどに改装して利用できれば、千葉市にとっても宝物になるでしょう。関係者の熟慮を望みます。


引用では意味をなさないと思った。ご本人と連絡を取り、全文転載の許可をいただいた。名前の部分のみイニシャルとしている。

さらに、Go!Go!しんけみがわ! 新検見川地域情報の花園シンさんがこんなバナーを作ってくれた。

musenhozon.jpg

今のところ、リンク先はこちら。もしよかったら、ブログ、ホームページで張ってください。

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去年の日記は?


2006/8/16 パーゴラ付の物置の改造PART3 扉のゆがみを直す



  1. 2007/08/16(木) 19:34:35|
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検見川送信所と関東大震災

5時ごろ、地震が起こり、すっかり目が覚めてしまった。震度3だというが、建物がきしむ音がした。

昨日夕方、検見川送信所の写真を撮りに行ったが、方角的にうまく光をとらえられなかったので、起きたついでに朝の送信所を撮ってきた。



なんだか古城のようだ。


「検見川無線史」に載っている1926年開局当初の局舎

今ではすっかり落葉樹が正面を覆っている。このおかげで、最初、ここが正面であることが分からなかった。



さて、今日は送信所開局以前のことを書こうと思う。

というのも、検見川送信所の開局には地震が少なからず関係しているからだ。開局から3年さかのぼる、1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災だ。


19世紀後半の通信はイギリスが掌握していた。世界各地に植民地を持つイギリスは海底線を使い、連絡を取っていた。

しかし、1895年9月、イタリア人マルコニーが6km間をモールス符号による無線電信に成功し、やがて、実用化されていくと、時代は有線から無線へと変わっていった。

ちなみに、あの「タイタニック号」の遭難事故は1912年。この事故は無線があったからこそ、生存者もいた。無線がなければ、全員死亡していたことだろう。



その後、各国は大規模な無線局を作るなど、イギリスに追いつけ追い越せだった。

日本といえば、千葉・銚子に銚子無線局を持っていたものの、大電力による無線局はなく、諸外国に大きな遅れを取っていた。そこで、大無線通信計画が出された。

計画案ではアメリカ方面、ヨーロッパ方面、対植民地、東南アジア、中国大陸方面と計5方面の無線局建設があげられたが、総額は最低でも2~3000万円。とても国家財政ではまかないきれないと、実際はヨーロッパ局、外地局、国内局の3つに絞られる。

しかし、関東大震災で被害総額は100億円を越えると分かり、さらに計画は縮小。外地局と国内局は逓信省が、そのほかは民間の資本で建設することになった。

この外地局が岩槻と検見川送信所だった。無線電信施設費の予算は100万円。

条件は東京無線電信局から近く、地価が安い広大な平坦地。しかも、電力を取りやすい。

当時、電力は電力会社が集中的に行うのではなく、各企業が独自に供給していた。検見川の場合は京成電鉄があり、電力の確保も十分だった。



敷地総面積は23,788.06坪。検見川から稲毛に及び、地主も50人を超えたことから、買収は難航したが、当時の町長だった斉藤清次郎氏ら土地の有力者の尽力によって、大正12年12月27日に登記を終えた。

設計は逓信省経理課経理局営繕課が担当。「検見川無線史」には、その名前は出てこないが、設計者は逓信省のエース建築家・吉田鉄郎氏が手がけた、とされる。

このシンプルな概観は、関東大震災の影響で予算が少なかった影響かもしれない。



これを書いている間も、大きな揺れが。怖かった。

※参考文献
「検見川無線史」
「千葉県検見川町鳥瞰図」ほか

写真は30Dで撮影。


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去年の日記は?


2006/8/16 パーゴラ付の物置の改造PART3 扉のゆがみを直す




  1. 2007/08/16(木) 10:05:34|
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終戦の日の検見川送信所

最近、検見川送信所に関する2冊の本を読むことができた。



初代所長を務めた菊谷秀雄さんの「検見川無線の思い出」と79年の閉局時にまとめられた「検見川無線史」(編・日本電信電話公社 東京無線通信部)である。この2冊は千葉市図書館で借りることができる。

検見川送信所は1930年(昭和5年)10月にはロンドン軍縮条約締結を記念した浜口雄幸首相の演説を米英に向け、放送。これが日本初の国際放送となり、「検見川」の名を世界にとどろかせた。

その技術の高さから、戦時中は軍事利用されたと推察されるが、その詳細は明らかになっていない。

「無線史」によると、各通信回線が休止となり、記録書類を焼却したとある。戦時中の送信所の役割はまさにミステリーではあるが、これこそが戦争にかかわっていたことを示す事実だろう。

回想録の中に唯一、終戦当日の様子が書かれている箇所がある。

NTさんの文

「朝出勤して間もなく、第1発振室前の広間に整列するよう指示があり、監視用受信機が持ち込まれ、全員が玉音を拝聴した。始めのうちは真意はつかめなかったが、午後になると百数拾名の軍人が入局して来て、階下の廊下で武装を解いた。その日から3日に亘り、玄関前の11号鉄塔下で書類という書類が焼却された」


局舎の正面玄関。書類が焼かれた11号鉄塔はこの右手にあったようだ

戦時中、千葉は多くの軍事施設を抱える軍都だった。

しかし、検見川送信所で働く人々は平和への思いが強かったようだ。


「検見川無線史」に載っている開局当初の局舎。まさに白亜の建物

菊谷氏は国際放送の成功したばかりの昭和5年秋以降のことについて書いている。

多くの軍人が見学に訪れたそうで、将校たちも案内した。職業軍人たちは天皇陛下のためには死ぬ覚悟という者ばかりだった。

「われわれ軍人は戦争がなければ、出世なんかできませんよ。もうすぐ昭和9年になりますが、西暦でいうと、1934年。これに昭和10年、11年と続けますと、193456になります。これをこう読むと、《イクサシゴロ》となります。われわれは今、戦争の準備をしているんです」と、ある軍人。

菊谷氏は「語呂あわせで戦争賛美とは怪しからぬと思ったが、軍人さんの前ではどうにもならなかった」と記している。

その後、平和に動いた浜口首相は東京駅で狙撃され、重傷となり、失脚。まさにイクサシゴロの時代に突入していく。

1934年3月から満州国の帝政が始まり、12月にはワシントン海軍軍縮条約を破棄、36年1月にはロンドン軍縮会議から脱退、2・26事件、日独防共協定を締結した。

職員も徴兵され、マニラなどに出兵した。

検見川送信所は前述の通り、真珠湾攻撃を告げる「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号を発信した場所ではなかったが、植民地との連絡などの軍事利用があった。平和の声を届けた、その技術は戦争へと利用されていく。

今もぽつんと建っている局舎は、僕らに何かを告げているようでならない。



写真はCaplio GX100で撮影。


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去年の日記は?


2006/8/15 海外での携帯電話活用術



  1. 2007/08/15(水) 11:42:22|
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針尾無線塔を守る会にノウハウを聞く~検見川送信所

前回の続き。

連絡先を聞いた僕は「針尾無線塔を守る会」の方と連絡を取ることにした。

お聞きしたかったことがたくさんあったが、大きく言うと、この2点だ。どのような活動をされてきたのか?1万人の署名をどのように集めたのか。

針尾無線塔の取り壊し、保存の動きはこの朝日新聞の記事に詳しい。

連絡を取ったのはこの記事中に出てくる会長さんだ。

僕は突然の電話をおわび、検見川送信所が現在、廃虚化し、将来的には取り壊しになる事情を話した。


検見川送信所。建物の周囲には道路で使う白いポールが無数置かれている。ムーミンに出てくるニョロニョロのようだ

会長さん(70)は保育園の園長をされている方で、電話からも、その人柄が伺える方だった。かなり丁寧に話してくれ、そのひとつひとつが参考になったが、ここではあまり明かすことができない。

ただ、孤軍奮闘に近い状態でいる僕には、大きな励みになった。

そして、検見川送信所について詳しく知りたいので、資料を送ってほしい、とも言ってくれた。

「協力できることがあったら、しますよ」

心強い。

僕自身のことを少し書くと、長崎に縁がないわけでもない。

僕の祖父は長崎市の沖合いにある高島という場所に住んでいたそうだ。高島は廃虚マニアには軍艦島として親しまれる端島を真近に見られる。



軍艦島は近代化遺産、廃虚としてはメジャーなところで、楽天でも67件の商品の取り扱いがある。こちら

数年前、仕事で長崎に出かけた際、初めて渡ることができた。現在は住んでいる方も少なくなってきているようだが、美しい海に囲まれ、小高い山、緑も多く魅力的な島だった。全盛期は炭鉱の町として栄えたが、現在は廃虚も増えている。そんなことをふと思い出した。

佐世保の無線塔と検見川送信所。長崎と千葉の2つの場所がこんな風に結ばれるというのは面白い。

佐世保のこの無線塔を見たいと強く思った。

追記
これまでテーマを「産業遺構・戦争遺構」をしてきましたが、ポジティブにとらえたいと思い、「近代化遺産を歩く」というものに差し替えました。

写真はCaplio GX100で撮影。


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去年の日記は?


2006/8/13 苦節10か月 ゼラニウムが咲きました



  1. 2007/08/14(火) 12:43:22|
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●佐世保市役所に聞く~針尾無線塔、取り壊しから保存へ

検見川送信所に関連して、ニイタカヤマノボレの暗号の送信場所を探しているうちに、長崎・佐世保の針尾無線塔の存在を知った。


ワンダーJapan(3)
針尾無線塔が登場する本

ここはニイタカヤマノボレを送信した3つある場所の一つである。

そして、ここも検見川送信所同様、取り壊しの危機を迎えているという。


検見川送信所

写真はCaplio GX100で撮影。


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この無線塔は昨日、紹介した「近代化遺産を歩く」にも登場する。空高く伸びる塔は、遠めからも印象的で、一目見たいと思わせる。ここは佐世保の観光資源としても有益なはずだ。


近代化遺産を歩く

07年5月25日の朝日新聞などによれば、現在は海上保安庁の所有。海保は市に買って欲しいと持ちかけている。しかし、千葉市同様、佐世保市は財政難ということで買い取りを渋っている。海保は買ってくれないのなら、取り壊すしかないと言っていた。

そんな話を聞いた町の有志が05年に「針尾無線塔を保存する会」を発足し、瞬く間に1万人の署名を集め、佐世保市に保存を訴えかけた。この結果、市も前言を撤回し、国からの補助も出る国の指定文化財に向け保存への道を模索し始めたという。

これがうまくいけば、いい前例になるのではないか。そう期待を覚えた。佐世保市役所に問い合わせをすることにした。

「保存する会」の連絡先も把握しているはずだ。担当部署は社会教育課。

まずは現状について聞く。

担当者「来年か再来年には結論が出ると思います」

-それは保存するということですか?

担当者「それは分かりません。現在は費用がどれくらいかかるのか、保存の耐久年がどれくらいあるのかなどを調査している段階です」

-保存の声が上がっていますが、逆に取り壊せ、という声もあるのでしょうか?

担当者「それはそれぞれあります」

ともかく、実際に市役所が前向きに取り組んでいることは確認できた。

こうして県外から問い合わせをすることは、保存への力にも多少なるはずだ。

さらに、保存する会の連絡先も知ることができた。ダメ元で電話をかけてみよう。

なかなかいい記者か探偵にはなれそうな気がした。もちろん、冗談だが(笑)。





去年の日記は?


2006/8/13 芝刈りバリカン





  1. 2007/08/13(月) 16:00:07|
  2. 検見川送信所
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●「近代化遺産を歩く」(著・増田彰久)

いま、検見川送信所のことでいろいろ調べている。そんな中で出会った1冊。


近代化遺産を歩く

筆者は大成建設を定年退職後にカメラマンに転身したという増田彰久氏。

検見川送信所のことをさしおいても、面白かった。



写真はCaplio GX100で撮影。


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検見川送信所のために産業遺構・戦争遺構というテーマを立ち上げたが、最近では「近代化遺産」という言葉が定着しているようだ。確かに、どことなくマイナスの匂いのする「遺構」よりも「遺産」の方が響きがいい。

おなじみのウィキペディアにも載っている。こちら

「近代化遺産」とは幕末、明治、大正、昭和戦前に建てられた工場、鉄道、トンネル、ダム、橋、鉄道など日本の近代化に大きな役割を果たした建物、構造物のこと。

検見川送信所もこのカテゴリーに入るようだ。

文化庁も1990年から近代化遺産総合調査事業を手がけ、96年から文化財の登録制度を始めた。

同書で、増田氏はこう書いている。ちょっと長いが、引用されてもらう。

私たちが文化財というと、まず頭に浮かぶのは京都や奈良の神社仏閣であろう。(略)「近代化遺産」は考えてみると、最も身近で懐かしさを感じるものが多い。(略)現在の生きた社会の中にある文化財なのだ。

今までは、いわば、お上がいろいろな文化財というものを指定して、市民がそれを見るという形だった。「近代化遺産」の場合は、川下から川上へ上げていく、市民からのアプローチしていく文化財と言えるのではないかと思う。


増田氏の提示はすごく分かりやすい。

たとえば、広島の原爆ドーム。産業奨励館として作られた、この建物はユネスコによって世界遺産に指定されている、という。

さらに、全国にはたくさんの「近代化遺産」が残っている。遺産を通し、先祖の物語を聞き、自分の生きた時代を振り返り、多くのことを子孫に伝えることができる。身の回りの文化を考えるヒントとして、積極的に評価していったいいのではないか、と。

まさに、僕が思っていたことのすべてが書かれていた。

さらに「遺産」は過去のものではなく、未来への伝言である、とも。

本書には構造物の美しい写真とともに、バックグラウンドを伺えるストーリーが満載で、非常に面白く読むことができた。増田氏はフットワークも軽く日本中の近代化遺産を撮影に回っている。

検見川送信所は紹介されていなかったが、「送信塔」は出てくる。

この章では、奄美大島の送信塔を撮りに行く際、乗ったタクシー運転手との会話が出てくる。
運転手から「取り壊されるのですか?」と聞かれる。

増田氏は、「どこへ行っても、近代化遺産の撮影ではよく同じ質問を受ける。どこの土地でも、人々が、その建造物に特別な親しみや思い出を持っているからだろう」と書く。

僕自身には、検見川送信所に思い出はない。ふと出会って、ものすごいインパクトを受けただけだ。

だが、検見川の方にお話を聞くと、「子供の頃は中に忍び込んで遊んだ」とか耳にする。まさに、生活の一部だっただろうな、と想像する。これは、かなりうらやましい。

ちなみに、近代化遺産で調べてみると、楽天では100件以上の商品がある。

検見川送信所を保存しよう(仮ページを作りました)





去年の日記は?


2006/8/12 実家のトマト! ゴーヤ! ナス!





  1. 2007/08/12(日) 23:30:55|
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クズミコウ

Author:クズミコウ
検見川送信所(千葉市)は1926年竣工。東京、大阪の中央郵便局を手掛けた吉田鉄郎氏が設計。1930年には浜口首相の演説を米英に向け放送。これが日本初の国際放送となりました。しかし、今ではこうした事実が忘れ去られ、現在は廃虚。所有者である千葉市は将来、取り壊すことを決めています。

詳しくは検見川無線送信所について

地元有志と「検見川送信所を知る会」を結成し、建物の価値を広め、利活用を提案する活動を行っています。活動は朝日マイタウン、朝日新聞、千葉テレビ、千都よみうりで紹介されました。

これまでの報道記事

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