検見川送信所は1926年(大正15年)、東洋一の大電力無線局として開所されました。昭和5年には日本航空輸送のシラサギ、カリガネと無線で交信し、日本初の対航空機通信が実現しました。
同年秋のロンドン軍縮条約では、浜口首相の記念演説がここを経由し、世界に流されました。これは日本初の国際放送となりました。また、戦時中は暗号を前線に送るなど軍事上、大きな役割を果たしたのです。
そんな重要な産業遺構、軍事遺構である検見川送信所は、取り壊しの危機に直面しています。
以前も紹介しましたが、現状について新たに分かったことを報告したいと思います。
区画整理を担当する千葉市検見川稲毛土地区画整理事務所に話を伺いに行きました。
同事務所は文字通り、稲毛区、検見川のある花見川区にまたがる区域の土地の整理を担当しており、同地区の下水などライフラインを整えるため、土地の買収、交換などを行っているそうです。
周辺地図を拝見したのですが、送信所はまさに区画整理の対象地区の真ん中に入っていました。
土地はもともとNTTのものでしたが、平成2年に千葉市とNTTが土地の交換を行い、所有権が市に移ったということです。
将来、送信所の辺りは23140平方米の中学校に、付属するグラウンドは30011平方米の公園にする計画。これが実行されれば、送信所は取り壊す見込みといいます。
ただ、少子化にある今、緊急性は低いと見送られています。市の教育委員会からの要請があれば、取り壊しが実施されるでしょう、との回答でした。
以下は僕と担当者のQ&Aです。
保存する話はなかったのでしょうか?
「以前、話が上がったようですが、お金の問題で難しいと判断された、と聞いています」
具体的な見積りは行ったのでしょうか?
「10年以上前のことで、私も詳しいことは分かりません」
移築というアイデアもあると思いますが?
「詳しくは分かりませんが、それも難しかったのではないでしょうか」
歴史的にも貴重な建物を壊すのはもったいないですよね?
「NTT関係者を中心に一部から、そういう声が出ていることは把握しております」
中学校にするという話ですが、予定地から500メートルの場所に稲毛中学校がありますね。この地区に2つの中学は必要はないのでは?
「先程も申し上げたように、現在すぐに着手の予定はありません」
これは僕の単なる推測ですが、送信所は市に所有権が移ってからも『オニッコ』的な存在だったのではないでしょうか?
頑丈な建物ですから、取り壊すにも、修復・管理するにも、お金がかかる。
それに、文化的な意味がある一方、幽霊スポットのように言われ、浸入者も少なくない。
ややこしい存在だから、あえて踏み込まない。そんな風にやりすごされてきたとしか思えないのです。
僕は、この建物を保存し、広く知ってもらいたいと思っています。
しかし、千葉市は巨額の財政赤字を抱えている一方、秋にオープンする官民複合ビル
QIBALL(キボール)というハコ物造りに金をかけており、難しいのではないか、という意見もある方から伺いました。
しかし、取り壊しまでには若干ながら、時間があるのです。どこかにいい方法は必ずあると思います。
市外の方でも、保存すべきだと思われる方がいらっしゃったら、お知恵を貸してください。はっきり言って、僕だけではどうにもならない話です。
建物への感想でも構いません。まずは、この存在を知ってもらうことが大事なんじゃないかと思っています。
写真は
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去年の日記は?

2006/07/27 石窯のダクトを耐熱パテで埋める
- 2007/07/27(金) 00:00:00|
- 検見川送信所
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松井天山という人が書いた千葉の俯瞰図がある。
Go!Go!しんけみがわ! 新検見川地域情報さんのブログでは昭和5年に書かれた検見川の俯瞰図を拝見することができる。
これが面白い。変わっているところもあり、変わっていないところもあり。先日、紹介した
検見川送信所もしっかり載っている。
千葉県市街鳥瞰図
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↑これには千葉県下の26図案が載っているらしい。興味津々だが、高くて手が出ない。どうやら、市内の図書館では貸し出しはできないが、閲覧できる。
そんなわけで古地図に興味を持ったのだが、手に入るものは少ない。しかし、ネットでこんなものを見つけた。
テキサス大学地図コレクション
世界中の著作権フリーの地図を集めたものだ。日本の都市の地図もある。どれも権利切れだから、安心してブログでも使えるというわけだ。
米軍が作成した
Japan City Plansには、1945年当時の千葉市街地もあった。
こちら(3.0MB)。
下の地図は、千葉駅周辺をトリミングしたものだ。
中央にある十字の下が千葉駅。その上の椿森には鉄道連隊の施設。
先日、紹介したコンクリートの2つ橋脚は赤く印の位置にある。
脚注によれば、1945年4月に撮影した航空写真を基にしている。この地図一帯は同年6、7月の千葉空襲の被災地域。まさにこのために作られたものだということが分かる。
古地図を探そう。
去年の日記は?

2006/07/16 石窯でキムチピザ
- 2007/07/16(月) 00:01:00|
- 千葉
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午前中、台風の影響で雨。自転車で出かけることもできないので、中央図書館に出かけた。
「千葉空襲写真パネル展」という企画展を行っていた。パネル自体は千葉市が発行している冊子(ネットでもPDFファイルで読むことができる)の拡大版といった内容だが、参考文献なども自由に読めるようになっている。
その中に鉄道連隊OBによる回想集があった。題名は忘れたが、創立百年を記念して作られたもので、わら半紙を折って、冊子にしたものだった。
ちょうど鉄道連隊について書いたばかりということもあって、パラパラとめくってみた。残念ながら閲覧のみ、コピー不可だった。
ご年配なので、少し文語調。しかも一般の方が書かれているということもあり、決して読みやすくはないのだが、その分、生々しく、興味深かった。
鉄道連隊は日清戦争後にその前身が作られ、1907年10月に連隊に昇格。08年11月に連隊本部と第1大隊が千葉町椿森に置かれた。国内外の鉄道建設を行ったが、一番有名なのは、連合軍による泰緬鉄道の橋爆破を描いた映画「戦場にかける橋」での姿かもしれない。
泰緬鉄道をゆく
DVD 戦場にかける橋 (7/25 発売予定)
この回想録の中で、ある人は、この映画について怒る。
この映画は小説が原作だが、事実よりもフィクションの方が有名になってしまった。この映画では日本人は無能のごとく描かれた。それが無念でならない、と。
確かにこの方の怒りは分かる。
原作者ピエール・ブールは有色人種に捕虜になり、懲罰による屈辱を受けたことが悔しかったようで、その恨みを小説にぶつけたらしい。
映画化にあたっては日本人との友情に似た感情が生まれるとの描写に不満を持ち、後年、SF映画「猿の惑星」で、日本人を猿として描くことで鬱憤を晴らしたという説も。ってことは原作よりは映画の方がマシな描き方のようだ。
ちなみに、「猿の惑星」。チャールトン・ヘストン版はこちら。
猿の惑星
ティム・バートン版はこちら。
<新生 BEST HITS>PLANET OF THE APES[DVDソフト] 猿の惑星
また、英捕虜との思い出を書いたものもあった。なんとなく「戦場のメリークリスマス」を連想する。
同じく泰緬鉄道に従事していた方の話。
捕虜のリーダーに、日本語も少しできて、人なつっこい笑顔を浮かべるイギリス人がいたそうだ。
ある日、身の上話をする。
「貴様の階級は何か?」
「アナタサマサマ、ワタシはスコシスコシ士官ネ」
スコシスコシ士官。つまりは見習い。
徴集された彼は出兵後すぐに捕虜になったという。国に帰れば、士官の階級は保証されているのだという。
筆者も、徴兵された身。職業軍人ではなかった。家に帰れば、普通の男に戻る。敵ながら、親しみを覚えた。
以来、彼は筆者を「レフテナント(中尉)」、筆者は彼を「サマサマ」と呼ぶようになる。出会ったときは、戦況がそれほど緊迫していなく、「元気か?」「大丈夫ね」なんていう会話も日常的に飛び交ったようだ。
ある時、連合軍の空軍による攻撃を受ける。今までにない超低空飛行だ。
筆者は、日本人にはジャングルの中に隠れるよう、捕虜たちには路盤の上でじっと動くなと命令した。
飛行機はジャングルの方へ掃射する。そして、2回目。しかし、3回目の攻撃で突然、違う方向を銃を向けた。そして、4回目の攻撃を終えると、去っていった。
敵機の思わぬ方向転換は、サマサマが機転を効かせて、違う方向を指さしたからだった。筆者を助けたのだ。
筆者はサマサマの人間的な大きさに感服する。本来ならば、逆の行動もあったはず。しかし、この件について、サマサマとは話せなかった。すれ違ったときに以心伝心で通じるものがあったと振り返る。
その後、別の現場で再会したが、戦況は厳しく、捕虜と気楽に会話できるような状況ではなかった。その後のサマサマの行方は知らないが、鉄道連隊というと、真っ先に彼のことを思いだす、と文を締める。
回想録の題材としてはユニーク。普通だったら、戦友との思い出を書くだろう。
「戦場にかける橋」に悔しいと思うのも、真実ならば、敵に友情を覚えるというのも真実なのだ。
去年の日記は?

2006/07/15 3mプール!
- 2007/07/15(日) 21:30:07|
- 書籍
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古代の花・大賀ハスの後は千葉公園を散策した。SLが飾られている一角があるのは知っていたが、戦時中の陸軍第一鉄道連隊の演習地だったことはつい最近のことだ。
C型タンク飽和蒸気機関車。昭和36年から昭和44年まで川鉄で現役で活躍した。引退後、千葉市に寄贈された
ここに昭和7年の古地図をみつけた。クリックすると、拡大する。黒っぽく見える市街地の上に綿打(わたうち)池と書かれた池が見える。
これは弁天池の別名。ちなみに、領土争いの認定をめぐり、寒川村に住む綿打の男が前日、池の脇に弁天の碑石を置いたことがきっかけで寒川村の土地になったという由来がある。
一般的な戦争の歴史の中で鉄道連隊が語られたことは少ない気がするが、中国進出の際に、鉄道の建設、敵の破壊工作などを行ったようだ。最大20連隊。想像以上に大きな役割を担っていたのではないか。
ここでは架橋、敷設の演習を行っていたようだ。
池の近くには、モノリスのごとき、コンクリートの塊がそびえたっている。これが橋脚。
中央部にあるプレートには当時の様子が刻まれている。
電車を支えていただけあって、頑丈そうだ。こちらは裏から見たところ。
小高い山をあがっていくと、さらにもうひとつ。
手前の柱と、プレートがつけられた柱をつなぐと直線になる。演習とあって、わざわざ高低差のある土地で架線を試みたようだ。
演習路線も数多く作られた。それらは
新京成線の一部に転用されている。津田沼〜松戸間はやたらカーブが多いことで知られるが、これは陸軍の曲線の演習用に作ったものを転用したためという。
参考サイト
クロスケの「地図は歴史を語る」旧日本陸軍・鉄道連隊軍用線
演習路線と現在の路線を比較
江戸東京博物館で大鉄道博覧会が開かれるなど最近、鉄道が再びブームとなっているが、こんな演習路線跡を自転車で行くのも面白いかもしれない。
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2006/07/13 石窯に扉をつける
- 2007/07/13(金) 00:01:00|
- 千葉
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この記事のタイトル「検見川送信所2007夏」には僕なりの思いがある。
敷地内にある農園に咲いていた咲き終わり気味のヒマワリ
ここは残すだけの大きな意味もあると思う。
世界へ文化を発信する施設にしてほしい。美術、音楽、映像、写真。それらが楽しめる場所になれば。
かつて戦争の始まりを告げた場所がアートの発信基地に生まれ変わる。どうだろう?
しかし、それにはどうするべきなのか、僕にはいいアイデアが浮かばない。声を大きくすれば、それは届くのかもしれない。
もし、取り壊しとなり、消えてしまった時も、「2007夏には検見川送信所は確かにあった」ということを確実に残しておきたかった。
ここは廃墟マニアには知られた場所で、ネット上にも数々の写真が載っている。それらと合わせて、どんな意味を持つ場所なのか、思ってくれたら。
参考にさせてもらったサイトをいくつか紹介します。
検見川無線送信所あれから21年
同所にお勤めされていた方の回顧録。時代背景、73年当時の貴重な写真も伺うことができます。
検見川送信所
現役時代、92年当時の写真などを掲載。建築家・吉田鉄郎氏の紹介も。
アートプロジェクト検見川2000
実際に2000年にはアートイベントが行われたようです。
建物の前は高台になっていた。ここがアンテナの跡だとすぐに分かった。左には幕張の高層ビルがチラリと見える。
さて、僕は可能な限りの接近を試みた。ここはどの部分に当たるのだろう。
一見、無骨なコンクリート造りに見えながらも、丸みを帯びているところが、この建物のユニークなところだ。手すり、ひさしに柔らかさを感じる。
これから書くことは少々ためらいがあるが、記録として書いておこう。
もっと近くへ行こうと思ったが、僕の体に異変が。うっすら頭痛を覚えたのだ。ほかと違う空気を感じた。こんな経験は初めてだった。取り残された土地、建物は空気が循環しない。その結果、土地自体が不健全となり、邪気を呼び寄せてしまうのだろう。
僕は、この場を離れることにした。また今度だ。しかし、この姿を見せてくれるだろうか?
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2006/07/12 バックヤードシェードを撤去
- 2007/07/12(木) 00:02:00|
- 検見川送信所
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PART1では、「検見川無線局」と書いたが、表記は定まっていないようだ(訂正済)。それくらい忘れられた遺構ということかもしれない。
記念碑には「検見川無線局跡」とあったが、ネットでの検索では556件しかなく、「検見川送信所」が13900件。こちらの方がメジャーのようなので、以後「検見川送信所」と記す。
送信所は戦時中は軍事通信として、戦後は放送などを担ってきた。貴重な大正時代の建築物だ。
現在は宅地、遊歩道の間にポツンと立っている。
今回はキャノン一眼レフ30DとRICOHのCaplioGX100をナップサックに入れてきた。フェンス越しにしか撮れないなら、望遠レンズで構え、近くまで寄れたら、CaplioGX100の広角レンズで狙うつもりだった。
フェンス近くから数枚切った後、周りを歩いてみた。敷地の角には市民農園のようなものがある。さらに野球場があって、その前に入り口があった。
取り壊し予定と聞いていたので、ロックアウトしているのかと思いきや、入り口があった。記念碑はなかった。
不法投棄されたゴミが散乱し、草木が鬱蒼としている。このところの長雨の影響で地面はぬかるみ、やや足を取られたが、近くまで行けそうだ。
ただ失敗したのは替えのシューズを持ってこなかったこと。サイクルシューズのビンディングの間に泥がハマっているのが分かる。
ネットで見た写真とは違って見えたが、それはより一層、木が勢いを増しただけだったようだ。
この建物の設計者は大正時代に活躍した氏。建物が歴史的な意味を持つだけでなく、建築物そのものに大きな価値がある。丸みを帯びた角はユニークだ。
記念碑は建物近くにあった。
しかし、無惨にも「検見川無線局跡」と刻まれたプレートは落ち、もう一つに至っては何が書いてあるのかすら分からない。
ここが忘れられた遺構であることを強調しているようだ。
1979年に廃局になったが、ここまで取り壊されなかったのは、この建物自体が頑強だったとも言われる。「東京中央郵便局」「大阪中央郵便局」など逓信省の建築物を数多く設計した吉田哲郎氏によるもの。
建物の窓、ドアの全てには赤い鉄板が打ち込まれている。
近年は歴史的な意義が忘れられ、幽霊スポットとしても知られるようになり、荒らす人間が多かったようだ。
続く
写真は
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去年の日記は?

2006/07/12 バックヤードシェードを撤去
- 2007/07/12(木) 00:01:00|
- 検見川送信所
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ニイタカヤマノボレ。真珠湾攻撃を告げる暗号だ。
「前畑頑張れ!」これは1935年のベルリン五輪水泳での実況。
これらは全て、ここ検見川送信所から発信されたという。
検見川送信所 手前はエゴノキ
歴史はここから作られたと言ってもいいすぎではないだろう。1926年、東京無線局検見川送信所として開局した。
最近、自転車で行く歴史探訪がマイブームとなっている。これが案外面白く、ガイドブックには載らない場所にスポットを当てたいと思っている。そんな中、ネットで調べていたら、この検見川無線局にぶつかった。
正直、存在すら知らなかった。地元では歴史的遺構というよりも、幽霊が出没するミステリースポットとして知られていたようだ。
06年4月の
この記事によれば、この歴史的遺構は取り壊しの危機にあるという。これは行かなければなるまい。勝手な使命感に燃え、自転車に乗った。
目印とされる薬局を曲がるが、ブログで見かけたような風景は見つからない。辺りを何周もしてしまった。
僕は地理に鈍いわけではないが、この歴史探訪に限っては毎回のように道に迷っている。もっとも地元だからとタカをくくって、地図を持たないのがいけないのだ。
逆に言えば、場所を知らなかったからこそ、その存在も知らなかったとも言える。
しかし、どこに?
さては、既に取り壊されてしまったか?もしかして、さっき通りすぎた建設中のマンションがその跡地か。
玄関先に出ていた壮年の女性に場所を聞いた。
「それなら反対側ですよ。でも、もう取り壊されて、何にもないですよ」
やはり、来るのが一年遅かったか。
「今は宅地になっていますよ。これから、どんどん増えていくんじゃないですかね」
失望しながらも、記念碑くらいは建っているだろうと思った。
逆向きに走り、今度はお年寄りの男性に道順を聞いた。
「建物はまだあるよ。近くまで入れるんじゃないかな」
ジョギングによさそうな遊歩道から50メートルほど入ったところに、検見川送信所はあった。
実際には新検見川駅から歩いて10分ほど。剥き出しのコンクリートで重厚な造り。生い茂った草木。確かにミステリースポットの要件は十分満たしている。
さっきの女性の言葉なんだったのだろう?
送信所跡はまだあるのに。彼女にとってはなきに等しいということか。
もしかしたら、取り壊して欲しい過去の遺物なのかもしれない。
ここは元々、NTT(電電公社)の土地であったそうだが、今は千葉市に移ったと聞いた。
僕は自転車をフェンスにくくりつけて、一眼レフを取り出した。
続く
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2006/07/12 バックヤードシェードを撤去
- 2007/07/12(木) 00:00:00|
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