千葉市は2月、ドラマ、映画のロケ誘致を行う
「ちばしフィルムコミッション」(ちばしFC)を設立しました。
以下はちばしFCのHPの説明より
千葉市のロケ撮影を応援します。
千葉市は東京都内から約40分という近い立地環境でありながら、都市機能と自然風景があり、さまざまなロケ資源に恵まれています。そのため、既に千葉市内においても映画やドラマのロケ撮影が行われてきました。
千葉市では、この恵まれた環境を活用していくため、「ちばしフィルムコミッション(以下、ちばしFC)」を設立しました。ちばしFCの設立によって、制作者へ対するロケ撮影地の情報提供や撮影支援などサービスの向上を図り、積極的な誘致活動の 展開を可能としました。
また、ロケ撮影の実績を重ねていき、千葉市の話題づくりやロケ地として映像作品をとおして千葉市を紹介していくことにより、千葉市の認知度を高め、シティセールスの取り組みとしての効果を得ることができます。
先進的な都市、広がる田園風景、大小さまざまな公園、役所・学校・病院などの公共施設などさまざまなロケ資源が待っています。 是非、千葉市のロケ資源を活用して、撮影を行いませんか。
製作者向けに配布している「千葉市ロケ撮影ガイドブック」の中に、検見川送信所が2枚掲載されています。

緑生い茂る写真から推察するに、昨年夏から秋の間に撮影されたもののようです。
ちばしFCのHPにも「施設跡・廃虚」の項目で掲載されています。
同ページの説明を引用してみます。
この建物は1926年に、外国との通信を目的に建造された『東京無線局検見川送信所』の跡地。日本初の標準短波通信を行った送信所で、第二次世界大戦中は東南アジア圏との間の通信の重要拠点を担っていた戦争遺跡でもある。現在も残る本館は、もっと巨大で、東側に広がっていた。その後、NTT(旧電電公社)によって引き継がれたが晩年は倉庫として利用されていた。 1976年に廃止。僕には数点、事実誤認があるように思えます。本館は現況のままで、これに2期工事で作られた施設(撤去済み)が渡り廊下などでつなかっていました。晩年は倉庫として利用されていたということですが、OBの方からはそのようなお話を伺ったことがありません。閉局したのは1979年2月28日のはずです。
それにしても、千葉市は検見川送信所を取り壊す方針のはず。それがなぜガイドブックに?
疑問に思ったので、ちばしFCに聞いてみました。
ちばしFC「現況を紹介したもので、将来は取り壊しかどうかは特に考慮に入れていません」
−フィルムコミッションは2月に設立したと聞きましたが、反響はいかがですか?
FC「いろんなところから問い合わせが来ています」
−検見川送信所でのロケ希望はありますか?
FC「今のところはありません」
廃虚然とした(事実、廃虚なんですが)写真のチョイスには疑問もあります。しかし、ガイドブックに掲載されたということは、千葉市も「ロケ資源」としての価値を認めたという証。検見川送信所の保存に向け、ちょっとした朗報のように思えます。
映画、ドラマの製作者のみなさま、歴史的な建造物である検見川送信所で撮影してみませんか?今なら一番乗りになれるかも。できれば、歴史的な建造物というような扱いでロケしていただけると、うれしいのですが。

賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。
<a href="http://kemigawaradio.web.fc2.com/" target="_blank"><img src="http://moleskine.air-nifty.com/photos/sozai/banner.jpg" width="170" height="60" alt="musenhozon.jpg" border="0"></a>テーマ:建物探訪 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2008/04/30(水) 22:39:52|
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かっぱ画人さんの息子さんが、検見川送信所がデザインされた風景印つきのはがきを送ってくださいました。

「昭和初期のはがき」。写真はその一部抜粋です。
検見川送信所と海水浴の風景が刻まれたもので、「風景印」と呼ばれるものだそうです。僕の小学生時代は切手ブームで、多少、コインや切手を集めていた時期はありますが、「風景印」の存在は正直、知りませんでした。
右側から「千葉 検見川」と読めます。「9.8.14」は日付ですが、これも右から読むのでしょうか?それとも左から?
検見川送信所は昭和5年10月に日本初の国際放送に成功。この活躍により、その名を日本にとどまらず世界にも知らしめることになりました。そうした時代的な背景を考えると、「昭和9年8月14日」というのが腑に落ちる気がします。こんな風に自問自答したのですが、図書館で調べた結果、数字は左から読むのだと分かりました。
※参考にした本
以下は「風景印」についての記述。ウィキペディアからの引用です。
1931年(昭和6年)7月10日より、富士山局と富士山北局で使用が始まったのを嚆矢とし、ピーク時には1200局以上で使われた。 地域も幅広く、関東州・樺太・朝鮮・台湾・南洋など、当時の日本の統治下にあった地域のほとんどで使われていた。 通常の消印とは異なるが、日中戦争時の野戦郵便局でも使用されている。 当時は観光地中心に配備され、形状についての規定が緩やかだった。
だが、戦火が激しくなりゴムが不足してきたため、1940年11月15日限りで使用を中止した。
風景印は一度使用が始まると永続的に使い続けられるそうで、コレクターは使用開始の初日の「初日印」を集めるのだそうです。これも「初日印」ということです。風景印はその土地の史跡、名産物をデザインするもので、稲毛局も検見川局も、上記の風景印が使われていたと聞きました。(※ちなみに、稲毛局は1978年から現在の風景印が使われているようです)
こうした事実を考えると、昭和初期の検見川送信所は千葉を代表するシンボル的な存在だったことが分かります。

賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。
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- 2008/04/26(土) 18:41:51|
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「検見川送信所を知る会」有志で建築史家・倉方俊輔さんの講演を文章化する作業を行っています。書き起こしはほぼ終わり、校正中です。
- 2008/02/29(金) 20:06:53|
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関東地方が大雪となった3日、メンバー5人が集まり、23日に行うイベントの打ち合わせを行いました。
イベントの詳細につきましては後日、お知らせします。
- 2008/02/04(月) 15:09:01|
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